カトマンズに公衆トイレ(1)
プロジェクト Kathmandu
「スパスムシステム」でつながる人と人
〜ネパールに施工した“エコ・トイレ”〜
インドと中国に囲まれた国ネパールのラリトブール市。世界遺産に指定されている施設もあり、外国人も多く訪れる古都の町に、1999年の夏「菩提樹」という名のトイレができました。
このトイレは“エコ・トイレ”と言われています。そう、この“エコ・トイレ”こそ土壌生物の力で汚物を分解するスパスムシステムで施工されています。

1−山男徳田とネパールのトイレ
この事業の原動力、当社代表取締役の徳田は学生の頃からの山男です。
戦後、疎開先だった栃木県佐野市での英語の先生との出会いが始まりでした。山好きのその先生がする様々な山の話を聞くにつれ、徳田の山登りに対する興味が徐々に膨らんでいきました。そして、とうとう友人たちと地元の赤木山への登山にチャレンジ。そのときから徳田はすっかり山に魅かれ、仲間を集めて山岳部を結成しました。仲間たちの当時の目標、それは「いつか、ヒマラヤに登ろう!」だったのです。
徳田は在学中だけでなく、卒業後も登山パーティに参加し同級生や後輩とともにいくつもの山へ登りました。しかし、1950年12月30日、この山岳部に大きな事故が起きてしまったのです。
谷川岳の西黒沢、徳田は仕事のため一日遅れで先に登っている仲間たちに合流することになっていました。ところがその前日の朝、11人が大きな雪崩に遭ってしまったのです。引率の先生を含む5人が、この事故で亡くなってしまいました。
その日の夜行に飛び乗り駆けつけた徳田が見たものは、500mにもおよぶ大雪崩のあと。犠牲者全員を発見するまでには、半年もの時間がかかりました。
この事故で、県の教育委員会からは「こんなに危険な活動をする部は、廃部にすべき」との意見も出されましたが、当時の校長先生が若者への山登りの必要性を訴えてくれたおかげで、山岳部を存続することができました。
徳田はこの事故で亡くなった仲間たちの追悼登山も含め、その後の30年間、山岳部での登山を続けてきました。ただ、「もし、またあのような事故を起こしたら…」という気持ちから、冒険登山への思いを抱きつつもそれを実行することはできませんでした。
当時の登山仲間も70歳近くなろうという平成11年のある日、徳田は大きな計画を思いつきます。
「俺たちの合言葉は“いつかヒマラヤへ”だった。亡くなった仲間たちも、同じ気持ちだったんだ。しかし、それはもう年齢的にもかなり危険を伴うこと。どうだろう、自分が持つ技術で、なにかヒマラヤの役に立つことはできないだろうか」
登山の経験から山で用を足すことの大変さを知っていた徳田は、土壌生物を使って汚物を処理する“エコ・トイレ”をヒマラヤに設置することを思いついたのです。
徳田は計画を立て始めました。発展途上国であるネパールでは、汚水処理の設備なども整っていません。しかし、そんな土地だからこそ、施工も比較的簡単でコストもあまりかからない「スパスム・システム」の“エコ・トイレ”はうってつけです。しかし、基本的には押しかけ事業。徳田は山岳部の仲間から寄付を募り、さらに計画を練りました。
ところがある日、その計画を聞きつけたネパールのラリトブール市の市長から、「その後の維持を考えてもそんな山の中に作るのは大変だ。それよりも、うちの町に作ってくれ。私が責任を持つ。」
ラリトブール市は旧首都であり、またお釈迦様との縁が深いという土地で、昔から王宮や寺院が多く、中には世界遺産に指定されている施設もあるところ。ここを訪れる外国人観光客もかなりいるのですが、衛生的なトイレが少ないことが市が抱える頭の痛い問題だったのです。
ネパール仏教の高僧でもあるラリトブール市長は、徳田が提案した“エコ・トイレ”が、その悩みをすっきりと解決してくれるものだと言ってくれたのでした。
さあ、これで役者はそろいました。この計画を実行すべく、徳田はネパールに向けて飛び立ったのでした。
